プロローグ
2016年10月30日(日)に、
武田氏館
へ行きました。
武田氏と言えば、甲斐の武田信玄が有名ですが、その17代前の平安時代末期頃に、ここで武田氏が発祥したらしいのです。
今から900年くらい前の話です ・・・ 誰も覚えておらん!
初めて行く場所なので、GPS で直線距離を計測したところ、アパートから 4km です。
チャリンコで楽勝の距離です。
この日はこの時期に似合わず、とても寒く、気温が上がったと思われる11時に出発しましたが、それでも寒かったです。
13℃前後じゃないのかしら。
入場無料ですが、受付の係員さん (爺さんです) から立派なパンフレットをいただきました。
見学者は私以外に誰もおらず、とてもゆったりと鑑賞できました。
パンフレットより ・・・ コピペです
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ひたちなか市武田 (地名) は、戦国時代の名称武田信玄 (晴信) で知られる甲斐武田氏の発祥の地です。
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平安時代末期 (12世紀初め頃)、源義家の弟の義光は、常陸国への進出を図り、長男の義業を久慈郡佐竹郷 (常陸太田市) に、三男の義清を当市城の那賀郡武田郷に土着させました。
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義清は地名をとって武田を名字とし、武田氏の始祖となりました。
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また、義業の子の昌義は、中世・戦国時代に常陸国に君臨した佐竹氏の祖となりました。
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義清とその子の清光は、武田郷周辺の古くからの豪族との間で勢力を張り合っていましたが、そのゆき過ぎた行為を朝廷に訴えられました。
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その結果、義清父子は甲斐国に配流
(左遷と思います。)
となってしまいました。
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甲斐の国に土着した義清父子は、新天地に甲斐源氏発展の基盤を築き、その17代後に信玄が生まれました。
館を見学
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母屋の様子です。
当然ですが、木造です。
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馬小屋と門番小屋です。
先程の係員さんは、門番小屋に住んでいます。
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それでは中に入ってみましょう。
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何やら戦の作戦会議中のようです。
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殿、一大事でござる。
敵の大軍がこちらに迫っておりまする。
如何がなされようか?
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よきにはからえ。
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その他の展示物です。
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家系図です ・・・ 武田氏がひたちなか市出身は本当だった!
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当時はこういう盃でお酒を飲んだのでしょうかね。
きっと、ビールやワインは無かったと思います。
エピローグ
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武田氏館のすぐ前に武田氏ゆかりの湫尾神社 (ぬまおじんじゃ) がありました。
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2013年9月12日に本殿が全焼してしまいました。
現在、復興工事中です。
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昔の武士は質素倹約と質実剛健だったんだなぁ〜
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勢力を誇った武田氏でさえ、この館を見る限り1ルームでした。
馬も一頭しか居ませんでした。
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家来はどうやって生活していたのだろう???
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武田氏館は JR 勝田駅西口から比較的近いので一度訪れるとよいです。
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近いとは言っても徒歩だと30分くらいかかるような気がします。